イタリア料理スローフード生活

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2009年 11月 15日

オルサラ村に帰る 3  ミケーレ・マフィア家と出会う

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「すぐ迎えに行くから」

そういわれて電話を切ったものの、
待てど暮らせど、なかなか車は、やってこない。

イタリアの”すぐ”の感覚を
すっかり忘れちゃったよな。

まあ、いそぐこともまったくないし。

そんなことを思いながら、
大きなリュックをざくっと地面に置いて、
めずらしく、太陽をしっかり浴びたい気持ちになって、
ぼーっと炎天下の中、待ち続ける。

ぎゅるぎゅる小石をけちらしながら、埃をたて、
おんぼろ車が、坂をのぼってきて、

これが、ミケーレの”すぐ”のお迎え。

「はじめまして」









ミケーレ・マフィアのB&B

オルサラ村にいたときは、以前お世話になった
ペッペのレストランに併設されている素晴らしいホテルに好意で泊めてさせてもらった。
というより、電話をかけると、ごく普通に、もうそういうことにしてくれるのだ。

毎朝広いベッドで目が覚めると、
こんな幸せなことでいいのかな?としつこく思った。

ぶどう畑を横目にのぼり、オルサラ村を一望できる
1人では、贅沢すぎる快適なホテル。

でもその後、両手を広げて、
いいんだ、いいんだ、
幸せは、ただただ受け取ればそれでいいんだ、と
懐疑心を追い払う。

昔は知らなかったけれど、
人は、無条件の幸せを、無条件で受け取れないことがあるらしい。

そんなばかな、ラッキーなことがおこったら、
みんな単純に喜ぶでしょう?

・・・というほど、人は、意外と単純でもないのだ。

それでも、無条件に100%与えて、
無条件に100%受け取る、は、すでに私の人生へのコミットの仕方,と
勝手に決めたので、(できるかできないかは、別にして)

これも、いいレッスンなのだ。
毎朝ベッドで、両手を広げて,自分に言ったものだった。
幸せは、受け取ればいいんだ、って。


でも2日間だけ、この小さなホテルがいっぱいになることがあって、
秘書のルイーザが、申し訳なさそうに、私に言った。

今度の結婚式、花嫁が、ギリシャ人なのよ。
それで、親戚一同が、ギリシャからやってきて、ここに2泊するの。
悪いんだけど、2泊だけ、B&Bに移ってもらってもいいかしら?
私から電話しておくわ。

申し訳ないなんて、とんでもない。
ということで、すぐ近くのミケーレのB&Bに行くことになった。
そして、迎えに来てくれることになったのだ。

マフィアなんて、すごい苗字!

ルイーザに笑っていうと、
アクセントは、マじゃないわ、それじゃほんとのマフィアになっちゃう。
マフィーア、フィにアクセントがあるのよ。


私の少ない荷物を見て、わざわざ車できたことがちょっと拍子抜けした感じのミケーレ。
たぶん、40代後半か、50代。オルサラ小学校の事務の仕事をしているということ。

「妻の両親がこの家に住んでたんだけど、
年とって、村の中心に引っ越したんだ。ここは、ちょっと離れてるからね。
年とると、村の中に住んでいたほうがいいんだよ。
それで、この家は、去年あちこち改装して、B&Bにしたんだよ。」

この家は、ジュゼッピーナの娘のカルメラと孫のシモーナの家の隣で、
彼女たちの家に行く途中、いつもここを通るたびに、誰が住んでいるのかしら?
大きくて、すてきな家だなあ、とちょろちょろ横目でのぞいていたのだ。

「朝ごはんは、何食べるの?
カフェラッテとパン?
じゃあ、牛乳は明日の朝もってくるからね。
何時ごろ起きる?

何かあったら、いつでも電話してくれればいいから。」

窓から、緑の木々と畑の見える、こざっぱりとした清潔な部屋に通されて、
タオルを渡され、大きな家に1人になった。

他のお客は、昨日みんな帰ってしまって、
今日も明日も、この家に私1人。
しばらく、シャワールームや、キッチンを探検して、
ついでに、こっそり他の空いてる部屋も覗き見して、
新しい家に引っ越したような、ちょっとわくわくした気分を味わう。

でも、夜この家にたった一人か・・・。

自慢じゃないけど、子供のころは、トイレに行くのが、怖くて、
いつも弟をトイレの外で待たせていた私。( トイレは、家の中にあるのに! )

こんな大きな家に、夜1人で、寝れるようになったとは、
姉の成長に、遠い日本で弟も涙することだろう・・・と1人不気味に微笑む。

まあ、本音をいえば、いまだに、ちょっと怖いけれど、
なにしろ、ここは、しょせん安全なオルサラ村だし、
夜のことは、また暗くなってから怖がることにしよう、と・・・。


朝の携帯メールと夜の散歩

朝、目覚まし代わりに使っていた携帯の、
メッセージを受信した音で、目が覚めて、こんな朝からいったい誰だ?
番号を見ると、まったく知らない人。

「ボンジョルノ、昨日は、よく眠れたかい?」

え?なんだ、このメッセージ、君は、私の彼氏かい?と眠たい頭でつっこみたくなるも
よくよく見ると、なんとミケーレ氏。

なんとまめな人か。しかしなんか、ちょっと変な人かも?
(のちにわかることがある)

何しろ私1人なので、自分の家のように、
寝起きのままキッチンに行き、窓を開けると、
もう朝日がさんさんと入ってきて、
そこからは、切り取られた絵のようなオルサラ村の平和な朝の風景。

地震がこようが、嵐がこようが、槍が降ろうが、
朝ごはんをのんびり食べる私の習慣は、どこにいっても、同じこと。

ゆらゆらと、立ち上るオルサラ村の煙をみながら、
ここでも、両手を広げて、やってきたまた違う朝の幸せを、たっぷり受けとればいいのだ。


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オルサラ村、夏の一大イベントといえば、夜の散歩。
短いメインストリートを、行ったり来たり。
おしゃべりながら、ひたすら散歩。

ある程度のところまで上ると、

「じゃ、ターンしようか?」 

クルリとまわって、今度は、下る。しばらく下ると、

「またターンしようか?」

クルリとまわって、今度は上る。
毎晩毎晩、けっこう飽きずにみんなやっている。

なぜなら、ここは、冬は、寒くて外に出る人なんてまずいないし、
このそぞろ歩きのお楽しみは、夏の間だけの、期間限定の楽しみなのだ。

北に働きにいっている人たちや、学生たちが、みんな帰ってくるのも夏で、
こうして、メインストリートは、ちょっとした社交場になり、1年ぶりの再会を喜ぶ。

その晩、私もこうして、歩いていると、後ろからなにやら、私を呼ぶ声が・・・。

「スキーコー、スキーコー!」

スキーコー(サチコ) って、もしかして、私のこと?
振り向くと、なんとミケーレ氏。

「問題ないかい?夜大丈夫だった?朝ごはんは食べられた?」

にこにこと、しかし、がに股でどっどっどっと、いっきに近寄ってきて、がっしり握手。

「ハイ、静かだし、よく眠れました。
朝も冷蔵庫に牛乳があったし大丈夫でした。どうもありがとう。」
「そうか、よかったよかった。」とほんとに安心した様子。
「それじゃね。」

またどっどっどっと、がに股で去っていくミケーレ氏を見て、
一緒にいた友人たちが、

”スキーコー”、あれは、いったい誰?」 

大笑いしていっせいに冷やかす。
事情を説明し、朝のメールの話もすると、みんなすごくうけて、
人の物まねのうまいコックのビアッジョは、さっそくがに股で私に近寄ってきて、

スキーコー、スキーコー

「いや、名前の間違いを訂正するタイミングを失っちゃったんだよね」 と私も苦笑。

このスキーコー物まねは、しばらく続き、
なんとものどかなオルサラの夏の夜。


ミケーレ一家のトマトソース

翌日村を歩いていると、
「散歩しているの?」とにこにこ顔のおじいさん。

実は、このおじいさんは、ジュゼッピーナの幼馴染で、
ジュゼッピーナを見かけると、どんなに遠くからでも、走ってきて、

「ああ、僕の愛しい人!」

と、ジュゼッピーナをひしっと抱きしめる、くっさーい芝居を毎回やるのだ。

ジュゼッピーナは、「やめなさいよ!」と笑いながら追い払う。
私が、ジュゼッピーナのアマンテ(愛人)と呼んでいたおじいさん。

「今うちでトマトソース作ってるよ。見においで」

そう誘われて、このジュゼッピーナの愛人(?)の家のガレージに一緒に行くと、
そこには、ミケーレ一家が。

つまり、ジュゼッピーナの愛人おじいさんは、ミケーレの義理のお父さんで、
あのB&Bに、1年前まで住んでいた人たちなのだ。

ガレージでは、ミケーレの美人の奥さんと、そのお母さん(愛人の奥さん)が、
2人で、ひたすらトマトを煮ている。

ジュゼッピーナとの違いは、ここには、昔ながらのコンロが、まだ残っていて、
薪で、火を起こしながらトマトソースを煮ているところ。

そのコンロは、まるで、昔のグリム童話か何かのおとぎ話の中で、
魔女が、ほくそえみながら、もくもく煙のでる秘薬を煮ていそうな、
そんな味わいのあるコンロなのだ。

「昔はこういうコンロがひとつだったので、
野菜をゆでたお湯を使って、パスタもゆでたのよね。
昔は、食事といえば、一皿だったのよ」

現代のイタリアのキッチンは、ガス台4台が基本。
あっちで湯をわかし、その間にこっちで肉をいため・・・なんて普通にするけれど、
そんなキッチンがお目見えしたのは、、意外と最近なんだろう。

そういえば、シチリアで後ろに住んでいたおばあさんの小さな家を見せてもらったとき、
小さなガスコンロがたったのひとつで、おもわず、
「いったいどうやって、パスタ料理しているんですか!?」
とすっとんきょうな声をあげたことがあったっけ。

今思えば、あの時代の人にしたら、そうそう驚くことでもなかったんだろう。

生まれたときから、何もかもあって、大量消費の文化の中でそだった私たちは、
本当の意味で、不便な世の中というのが、感覚としてわからないのだ。

だって、私たちは、ここたった数年で
”不便さの解消” を鬼のように、追及してきたのだから。

より早く、より便利に、より効率的に。

でも、ときどき、ふと我にかえると、
不便さの解消を追求して得た時間で、
いったい何をしているのかな、と冷静に思わないでもないけれど・・。

そうはいっても、なかなかもう
この早い回転のシステムから、抜け出すことは、できないし、
回転のシステムの中に、入ってしまうと、
自分がそこに入っていることさえ、わからなくなってしまうのだ。

それが、ちょっとした現代の悪夢。
中世じゃあるまいし、もはや誰もほくそえむ魔女の存在を信じなくても、
実は、ちょっと、魔法にかかっているのかもしれないな。
魔法というか、”罠”というか・・・。
もくもく煙の出る秘薬を、知らず知らず、毎日飲んでしまっているのかも。

そんなことを感じられるのも、
こんなトマトソースづくりの光景が、
ちょっと日常から離れていて、つかの間、車輪の回転の外にでたからからもしれないけれど。。

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オルサラ村の倉庫のお宝

他の家の倉庫でも、見たのだけれど、
この家の倉庫にも、ご先祖さまの古い写真がかざってあって、
軽く埃をかぶりながら、じーっとトマトソース作りを眺めている。

「これは、1900年ごろ、アメリカに渡った親戚の叔父さん。
音楽家で、絵も描いた。芸術家だったのよね。
これは、ひいおじいさんで、これは、その妹で・・・・」

そんなふうに、倉庫にポーンと置いてある昔の写真。
まるで、先月近くの海に遊びにいった写真のように。

壁には、乾燥された野生のオレガノ。
天井には、冬にたべる、乾燥トマト。

イタリアの田舎の倉庫には、まずお宝は、眠っていなさそうだけれど、
そこが、かびくさい秘密めいた場所というよりは、
今もしっかり現役で働いている場所であり、
それでいて、遠い昔とつながっている場所なのだ。


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結局のところ、他のオルサラ村の人の例にもれず、
ミケーレ氏は、本当に純粋に、1人であの家に泊まる外国人の私を
気にかけてくれていたのだ。

でも、このごろ、たかがB&Bに泊まるお客を、
そんな風にいちいち気にかけてくれる人はいないので、

ビジネスライクに生活することが普通になって

なんだか、はじめは、ちょっととまどってしまった。
失礼なことに、なんか変だな?と。

でも、純粋な親切を受け入れて大丈夫だったのだ。

一般に、イタリアにおいて、
フルバであること(狡猾にたちまわること)は、なかなか市民権を得ているので、
こっちも、それなりに気をつけなくてはいけないのだけれど、

オルサラ村では、フルバであることは、多分それほど重要ではないんだろう。

フルバであることで見返りを受けられて、
フルバであることが賞賛される土壌がないと、
フルバである意味がない。

もちろんそれはこの村の中だけで通じることで、
小一時間もいった、都会のフォッジャでは、もう十分警戒しないといけないのだが。

オルサラ村の人たちの素朴な感情が、
自分の底を流れる本質的なものを捉える。

おいしいトマトソースも、もちろん魅力なのだけれど、
心の奥で、ひきつけられるのは、そんなシンプルな人間の感情なのだ。
人の直感が感じる、「ここがいい!」というそんな声。

もっとうまく表現できたらいいのだけれど・・・・。
でも、誰もがそういう直感を感じる場所があるのだ。


そうはいっても いつかは、ミケーレ氏の、
スキーコー”を訂正する機会をみつけなくては・・・;)
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by andosachi | 2009-11-15 22:57 | プーリアの日々


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