2010年 01月 15日

人生は、まわる輪のように

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6年前、結婚50周年を、子供や孫に祝ってもらったオルサラ村のロッコとジュリア。

「今は、みんなすぐに離婚してしまうけれど・・・。
私たちは、教会の誓いのまま、ずっと結婚生活を続けた世代なのよ」

音楽家であり、大工であり、靴屋であり、穏やかだけれど、ちょっと気ままなロッコと、
辛抱強く、50年間踊り続けた妻のジュリア。

50年間。

人生はまわる輪のように

あるときは、くるくると、坂を転げるように軽やかに走り出し、
あるときは、深い水たまりの中で、止まってしまったかのようであっただろうけれど、

50年まわり続けた今はもう、毎日、おなじリズムでまわれば十分。
彼らの家にある古いピアノの上の、メトロノームに、あわせるかのように。

毎日毎日、同じリズムでゆっくりと。

静かな夫婦の会話。
楽しみの玄人はだしの音楽。
村人に喜ばれる靴やの内職。
時おり、休暇でやってくる、遠くで勉強している孫たちの顔。

そんなリズムが毎日、毎週、そして、1年、
できることならいつまでも。


今日はオルサラ村の老夫婦の、そんな小さな毎日と、まわる輪のようなお話を。




いつものように、道端で

オルサラ村のお年寄りと知り合うきっかけが、
ほとんどそうであるように、

ロッコとの出会いも、もちろん村の路上。

南イタリアには必ずある、
灼熱の太陽を避ける夏のシエスタ(昼寝)のあと、

夕暮れの風が、
つるつるとすべりやすい何百年も踏みしだかれた石畳の小道を
ふわっと吹き抜けて、

真っ白な村の家の壁を、目を細めてみなくていい太陽加減になったころ、

オルサラ村のお年寄りは、家の前の自分専用の椅子にご出勤。


そんなふうにして、夏の夕方、風をあたりに外にいたロッコと、
立ち話したのが、はじまりだった。

ただ、他のお年寄りと大いに違ったところは、
数日後の夏の夜、村のジャズフェスティバルで、

司会者に呼ばれて、大声援と共に、舞台にあがり、
狂ったように、熱く濃く、サクスフォンを演奏するおじいさん、

隠しようもない太鼓腹をぐるりと覆う、一張羅の黒いズボンを、
サスペンダーで、なんとか吊るしている、
ずんぐりむっくりな、赤ら顔のおじいさん、

それが、あの夕涼みのおじいさん、ロッコだったのだ。

目を疑った・・・というより、目がすっかりハートになった!

なんてかっこいいおじいさん!


そして、翌日シエスタが終わったころ、すぐにロッコの専用の椅子に直行して、
言ったのだった。

「ロッコ、昨日の舞台を見ましたよ。
すばらしかった! 私も音楽大好きなんです。
ピアノが大好きなんです。日本からも、たくさん楽譜もってきています!」

すると、まあるい目がちりちりっと輝いて、
「うちにも、ピアノがあるよ。弾きにくればいい。」

そして、ほんとに、翌日楽譜をもって、押しかけていって、
2人でいろいろ弾いたものだった。

ロッコと私の大きな違いは、私は、ちゃんと先生について長い間習ったのに、
楽譜がないと、何にも弾けないこと。情けないことに、短い小曲さえも。

ロッコは、ほとんど独学なのに、
即興でどんどん弾けること。

たとえ、日本のピアノの先生がみたら、

だめだめ、なんていう指の形で弾いているの!?
忘れないで、生卵よ、生卵。 それじゃ、手の中の生卵が、つぶれちゃうわ、

と、即、やりなおしさせられそうな弾き方だとしても。

「ああ!私も、そういうふうに、即興で弾けるようになるのが、夢なの。」

そのうち、隣のおじいさんもやってきて、ロッコのピアノで、
私のリクエストの、帰れソレントなどの、懐メロ(?)を上機嫌で歌いだす。

ときどき、音のでないキーがあり
昔は、白かったであろう鍵盤は、ちょっと手垢で汚れた
かなり年季の入ったピアノなのだけれど、
そんなことは、ロッコには、まったく関係ないのだ。

家でも、白い袖なしのシャツに、例のサスペンダー姿で、
汗をかきかきご満悦でピアノの前。

それが、2年前のこと。

そして、今回も、もちろん、必ず家にいるとわかっている
彼らのガラスのドアをノックする。


間には、いつもピアノがある

「はいってはいって」

ロッコの奥さんのジュリアも、
2年前、ほんとに楽譜を抱えて、家にやってた日本人を
覚えていて、久々の再会。

すぐにコーヒーを入れてくれて、簡単に近況を報告すると、
ロッコがすぐに、「ピアノ弾くかい?」

なつかしい隣の部屋の古いこげ茶のピアノ。

「今これをやってるんだ。弾いてみる?」

初見は、苦手とするところ、と、一瞬内心は、ひるむけれど、

コピーされた楽譜を見ると、ショスターコビッチのセカンドワルツ。
もちろん、聴いたことはなかったけれど、

弾き始めると、哀愁ただようメロディーが、
古いイタリア映画のサーカスの場面を思い出させる。

私のとなりで、立ったまま調子をとりはじめたロッコは、もうご機嫌で、
曲を知っているものだから、どんどん先を歌いだす。

必死でついていく私。

”こんな集中力、お金だして習っているときもなかったな、
久々に集中した!”

背中に汗をかいて、
弾き終わったとき、そう思ったものの、
ロッコの上機嫌が、すっかり私にまでうつってしまい、おもわず

「もう一回弾こうか?」

途中の盛り上がり部分は、ちょっと音符が複雑で、まともに弾いていたら、ついていけない。

でも、そこは、ロッコが一番盛り上がって、気持ちよく歌っている部分なので、
水をささないように、

ところどころ、左の複雑な音符をすっとばして、ロッコのテンポに着いていく。

そう、何よりも、ロッコの盛り上がり優先なのだ。

そうして

何回も何回も、セカンド・ワルツを繰り返した午後。

隣の部屋には、いつものこの聞きなれた曲を、
今日は、ちょっと違うあやしい演奏で聴きながら、つくろいものをする奥さんのジュリア。

急に、

何もかもが当たり前のようで、セットされていることに気がつく。

2年前に一緒にここでピアノを弾いて、
そして、また唐突にやってきて、ガラス窓をたたく。

ショスターコビッチを一緒に繰り返す夏の午後が、
まるで、予定されていた約束の時間のように、
自分の人生の旅の予定の中に、

そっと、置かれていたことに。

あまりにも自然に。
あまりにも、当たり前に。


まだこの村にいるから、またくる。

そういい残して、本当にまたきてしまうのだ。

誰も決めたわけではない予定なのだけれど、

誰かが、この出会いを、ちゃあんと知っていたんだ。
そして、そこには、ちょっとした音楽が介在することも。

ガラス窓と、古い茶色いピアノと、夏の午後のショスターコビッチ。
ロッコのサスペンダーと、奥さんのいつものつくろいもの。

すべてが、古い昔の芝居小屋のセットのように、
もうちゃんと用意されていたのだ。


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ロッコの倉庫

翌日またガラスの扉を外からたたくと、
奥さんのジュリアが、扉をあけてくれ、中に入ると、すぐ脇にある2mほどの小さなキッチンで
早々とお昼ご飯の支度をしていた。

南イタリアのお昼は、概して遅いのだけれど、
お年寄り世帯は、そうでもないらしい。

「ロッコは、朝から倉庫にいってるのよ。
ピアノ弾く?」 

私の顔を見ると、反射的に、その質問が出てくるみたいで、

「うん、でも、私、いちおう、料理にも、興味があるのよ ;)。
何作ってるんですか?」

と覗き込む。

揚げたなすの間に、トマトソース、たっぷりのモッツアレラチーズ、バジルをはさんで、
繰り返し層にして、最後はオーブンへ。

80歳を超えた老夫婦の食事にしては、日本人的には、重たいような気もしたけれど、
ごく普通のオルサラの昼食。


「さて」

そういって、ジュリアはエプロンをはずすと、
「倉庫に案内するわ」

言われるままについていくと、
ロッコの倉庫というのは、もういくどとなくその前を通ったことのある
村の入り口のそばの、パンやの脇で、

薄暗い、ちょっとほこりくさい、小さな車庫のようなものを想像していたら、
これが、とんでもない。

ちょっとした車の修理工場のような、すこーんと広い空間だった。

それもそのはず。

そこは、昔は、毎年秋になると、
ロッコの先祖が、とれたてのオリーブの実からオリーブオイルを絞る
作業場だったのだ。

ただっぴろい空間に、ありとあらゆるがらくたが陳列されていて、
もちろん、オイルを絞る大きな機械も使われずに、そのまんま。

イタリアの倉庫のお約束のように、
例のごとく、ご先祖さまの写真も、もちろん静かに鎮座している。

これまた年季の入ったラジオから、
イタリア語の放送が、勝手に流れていて、

がらくたの中から、私とジュリアに気づいたロッコが、
おうっと手をあげる。

「すごい・・」

思いもかけず、わくわくする空間につれてきてもらって、
昔の古いがらくた好きの私は、宝の山の前で、目をまあるくする。

「まあ、ちらかってるんだがね」

ハイ、わかります。

でも、結局のところ、空間があれば、
それぞれの定位置に、
いつまで好きなだけいたってかまわないってことなんだろう。
何年も、何十年も。あるいは、何百年だって。

どうして、動かす必要があろうか?
いつか誰かがそこにそっと置いていって、
居心地よくそこにおさまっていれば、

もうだあれも、そんなこと気にかけやしないのだ。

何年も、何十年も。あるいは、これから何百年だって。


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大工のロッコ、靴屋のロッコ

倉庫は、もうとうの昔に引退した、ロッコが、長い1日を過ごすところで、
今日も、なにやら手作りの家具を仕上げているところだった。

でも、それをふと止めると、
今度は、これまたありとあらゆる道具が、とっちらかった台の上で、
使い込んだ女物のサンダルを直し始める。

「何かしなきゃ、日が暮れないじゃないか?」

そういっているわりには、大工仕事も、靴直しも、
素人らしからぬ手さばき。

それもそのはず、ロッコは、若いころは、大工でもあり、靴職人でも、あったのだ。

「おじいさんは、靴職人だったんだ。
若いころ、アメリカのマサチューセッツに移住した。

でも、オルサラ村に戻ってきて、おやじもおじいさんと一緒に靴職人をやっていた。
わしは子供のころから、見てたから、それで自然に覚えちゃったんだよ。」

「できたかしら?」

近所の人がふらっと寄って、
あずけてあるサンダルの様子をのぞきにくる。

今は、

「何かしなきゃ、日が暮れない」

から、村の人の靴も直してあげているのだ。

でも、ロッコの場合、その「何か」は、けっこう多くて、
心配しなくても、日はあっという間に暮れそうなのだけれど。

今度は、サクスフォンを取り出すと、

「何を吹いて欲しい?この曲知ってる?この曲は?」

次々と、広い倉庫に 日を暮らすための「何か」のひとつの
サクスフォンを響かせる。

サンダルを取りにきた奥さんと、
はじめてそばで聴くサクスフォンの大きな音に、口をあんぐりあけた、小さな孫。

こんな”何か”を、毎日して、ロッコの長い1日は、過ぎていく。


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ロッコの妻、ジュリアと

ロッコの奥さんのジュリアは、あのかなりやんちゃな (といっても80に近いのだけれど)
ジュゼッピーナなんかからすると、

同じオルサラのおばあちゃんといっても、
かなり落ち着いたどっしりとした風格で、

骨太な体格と、はっきりした顔立ちのせいか、
82歳になる今でも、とても健康そうに見える。

おしゃべりに寄ると、
必ず、コーヒーを入れてくれて、
時には、手作りのリッコッタチーズも、出してくれる。

ぽつり、ぽつりと話す昔話は、
今が、彼らにとって、人生でいちばんのんびりした時であることを
気づかせてくれる。

今だけを見ると、まるで、彼らは、ずーっとこうして、ゆったりと暮らしているように
思えてしまうのだけれど。


「弟が2人いたのよ。

1人は、アルバニアの戦線で、マラリアで死んでしまった。
知らせをうけて、母が泣いたものよ。

もう1人の弟は、11歳違いで、今は、ヨハネスブルクに住んでいるのよ。」

「ヨハネスブルク!?いったいなんでまだそんな遠くに?」

「オルサラ村の知り合いが、向こうで働いててね、
あっちで、自動車の修理工として、働かないかって誘いに来たの。

まだ21歳だった。

はじめは、言葉もわからず、つらくて、毎日泣いているって手紙が来たんだけど、
そのうち、向こうに住んでいる女性と知り合ってね。
結婚して、2人の女の子が生まれたのよ。」

そういうと、エプロン姿のまま立ち上がって、
隣の部屋にいくと、何冊かの、小さなアルバムを見せてくれた。

「このごろは、あんまり送ってくれないんだけど・・・。
以前は、しょっちゅう送ってくれたの。」

小さなアルバムを開くと、そこには、金髪、蒼い目の、まるで天使のような女の子2人の写真。

ヨハネスブルク、現地の女性、なんていうから、
てっきりチョコレート色の肌の女性を勝手に、想像していたら、

奥さんは、現地に住むスコットランド人だったのだ。
そういえば、世界史の時間に、南アフリカといえば、アパルトヘイトってやったっけ。

「その奥さんは、年上だったんで、
もう亡くなってしまったの。
でも、今は、違う女性の連れがいて、一緒に暮らしているのよ。」

さすが!とあいづちをうちそうになって
何がさすがだかわからないのだけれど、
ひとまず勝手に安心したりする。

アルバムをめくっていくと、
馬にのったカウボーイのかっこをして、大きな口をあけて笑っていた2人の小さな娘さんも、
だんだん大人の美しい女性に成長して、

ちょっと昔のアメリカ映画にでてくるような大きな自宅の写真もあり、

向こうで、それなりに、いい暮らしをしている様子が伝わってくる。

こんな小さなオルサラ村から、
21歳で、よくアフリカまで飛び込んだものだ。

その一瞬の決意が、小さな南イタリアの村、
オルサラしか知らなかった
彼の人生をがらっと変えた。

白髪の、ジュリアとは全然にていない、
細身のすらりとした、定年したおだやかそうなおじいさんが、

元の職場のこぎれいなフォルクスワーゲン社の修理工場で
にっこり笑っている。

はじめは、言葉もわからなくって、
故郷のあのこげてるんじゃないかというくらい、
ぱりっとした皮のパンも、恋しかっただろうに。

でも、ともかく、

修理工として働いて、
女性と恋に落ちたりしているうちに、
今度は、新しい家族もできて、彼の人生も、くるくるまわっていったのだ。

オルサラ村からは、程遠い
南アフリカのヨハネスブルクなんていうところで。


「じゃあ、ジュリアとロッコは、どうしてたのよ?」


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ロッコとジュリアのまわる人生

「ロッコはね、

若いころ、高校を出ると、ローマの音大にいったんだけど、2年で戦争がはじまっちゃってね、
ローマは、特に、爆撃がひどかったから、
しかたなく、オルサラ村に帰ってきたのよ。

そうして

音楽の勉強は、そのまま終わってしまった。
そういう時代だったのよ。

村にかえってきてからは、村の水車小屋で働いていた。

私の家が水車小屋のそばにあって、それで知り合ったの。

でも、知り合ったは、知り合ったけれど、6年間、結婚しなかった。
できなかったのよ。なにしろ、その当時は、ほんとにお金がなくて。

結婚してからロッコは、お金を稼ぐために、
大工として働き始めたの。

水車小屋で働いていたといっても、そこでは、事務仕事や、
粉をはかったりという簡単な仕事だったから、

力仕事は、それがはじめて。

よく手から血がでたりして・・、つらかったわ。

すぐ子供が2人生まれて、生活は、大変だったんだけど、
ロッコの家は、靴屋でしょ?とてもじゃないけど、助けてもらえなかった。
むしろ、私の実家は、農家だったから、

野菜だのなんだの食べるものをくれて、助けてくれた。

そうして、3人女の子が生まれて、
男の子が、1人生まれたの。

そのうち、戦争も終わって、
ロッコは、ときどき演奏を頼まれて、サクスフォンを吹きにいったりしてね。
でも、それだけじゃとても食べていけない。

大工もして、とにかく生活してくために、稼いだものよ。

ロッコは、あのとおり、悪い人じゃないけど、
自分の好きなことで頭がいっぱいだから、

家のことなんて、まったくおかまいなし。

家事も、子供の面倒も、全部私。

そのうち、娘たちが結婚して、孫がうまれると、
娘は、みんな働いていたものだから、

今度は、孫の面倒。

ほんとに毎日忙しかったわ。」

そんな話をたんたんと語るジュリア。

説教くさくもなく、苦労話というわけでもなく、
いつも言葉の最後には、

”そういう時代だったのよ”

そんな言葉で、結ばれそうな、
さわやかな、地に足のついた諦観とでもいうような。

”そういう時代だったのよ”


ピアノの上に、ジュリアの若いころの写真が飾ってあって、
見るなりすぐに言ったものだ。

「きれい!映画女優みたい」

すると、ちょっと頬をあからめて、

「ファンがいたのよ」 

それだけいうと、ちょっと口もとをゆるませて、
ほんのちょっぴりだけ肩をすくめて、
古い写真のふちをそっとなでる。

ローマで音楽とまわっていたかもしれないロッコの人生。
でも、あるときは、時代そのものが、彼の人生をまわし、
そんな流れに逆らえるはずもなく、

ロッコは、流れに従って、

ここオルサラ村で、ジュリアとまわることになったのだ。

やがて、子供たちが、輪の中に入り、
一緒に、くるくる、くるくる回り続けて、

1人抜け、2人抜け、そうして、また2人の日々がやってきた。
でも、今度は、以前よりは、ずいぶんゆるやかな音楽で、まわればいい。

そうして、

50年間、静かに一緒に踊り続けた両親に、
子供たちが、小さなソルプレーザ(おもいがけない贈り物)。

1週間のローマ旅行。

ちょっぴりおしゃれをして、おのぼりさん風の2人の写真。

50年前は、ローマで失ったと思っていたこと。

でも、まわっていさえすれば、
やがて、気がつく。

本当は、たくさんのソルプレーザと一緒に、
踊り続けていたことに。

くるくる踊り続けていさえすれば、
失ったもの以上のソルプレーザが、

足元にからみついてくるのだ。

そして、そこには、いつもちょっとした音楽。

それが、ショスターコビッチのセカンドワルツのようであったなら、

甘くせつなく・・

そして

踊っている限りは、軽やかに。


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by andosachi | 2010-01-15 22:07 | プーリアの日々


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