2007年 12月 04日
ベリーニ劇場の脇の道路。 出演者入り口は左にあります。 私の好きな光景のひとつ。 劇場は完成したけれど・・・ 多くの困難を乗り越え、ようやく出来上がったカターニアのベリーニ劇場。 しかし、劇場建設で、資金はつき、肝心のオペラ上演のお金がなくなるという事態に。 さらに追い討ちをかけるかのように、 この時期、カターニアで、コレラが大流行。 多くの人が集まる公共劇場などに、 誰もいきたがらず・・・。 できあがった見事な劇場は、何も上演されないまま、 3年間も、開幕をまたなくてはなりませんでした。 そして、いよいよ開幕の時が・・・ ベリーニ劇場の開幕の夜 こうして、劇場完成から、3年後の1890年3月31日。 カターニア出身の作曲家、Vincenzo Bellini (ヴィンチェンツオ・ベリーニ)の ”ノルマ” でついに、はじめてのオペラの幕が開きます。 開幕の夜、カターニアは、お祭りのように祝い、 当時、まだ電気のない時代、 たくさんのガス灯が灯ったベリーニ劇場は、 劇場全体が、まるで舞台装置のようでした。 夜のベリーニ劇場 電気でも、十分ロマンチックですが;) しかし、またもや問題が・・・ 大騒ぎして、開幕したベリーニ劇場。 しかし、開幕後10年間、オペラの舞台装置が、あまりにもお粗末だったため、 観客が、すっかり離れてしまいました。 しかし、1900年。 新しい劇場支配人、Giuseppe Cavallaro (ジュゼッペ・カバラッロ)氏は、 斬新な考えの持ち主で、トスカなど、新しいオペラを上演。 ワーグナー、ロッシーニ、もちろん地元のベリーニも上演し、 再び、劇場は、人気を取り戻したのです。 が、しかし! 今度は、時代が、第1次世界大戦に突入。 閉館を余儀なくされました。 ファシズモがやってきた 戦後1918年、劇場再開。 1年回に、14回も公演をおこなうなど、活発な活動が続きました。 しかし、イタリアの政権交代とともに、 劇場運営組織は、ファシズモに取って代わられます。 運営は、ファシズモでしたが 1925年~1934年のこの時期、オペラ劇場としては、 熟成期で、ここから、多くの新人オペラ歌手がデビューし、 世界で人気者になりました。 伝統的に、ここ、ベリーニ劇場でデビューした新人歌手は、 その後、成功する、というジンクスがあるようです。 現在のベリーニ劇場正面にある広場。 ずーっと工事中で、いつもほこりくさい醜い覆いで囲われていたのですが、 10月にカターニアに帰ってきたら、こんなに素敵な広場になっていました。 そして、第2次世界大戦へ 1936年になると、 劇場に行って、娯楽を楽しむ時代では、なくなってきます。 そして、1941年、 ついに、イタリアは、第2次世界大戦に参戦。 しかし、この時期には、2つの大事なオペラが上演されます。 ひとつは、Toti Dal Monte (トーティ・ダル・モンテ) が、 ドニゼッティのドンパスクアーレを。 もうひとつは、プッチーニのボヘームで、将来の大テノール歌手、 Mario Del Monaco (マリオ・デル・モナコ) が、ここからデビュー。 そして、再び、戦争のために、劇場は、閉館。 そして、現在まで・・・ 戦後1951年 ベリーニの生誕150周年を記念して、ノルマを上演。 あのマリア・カラスが、ここからデビューしました。 その後、2年間、毎年、マリア・カラスが、ここで、ノルマに出演。 ベリーニ劇場は、再び、黄金期を迎えます。 1975年になると、 観客の中で、上演されているオペラをテープに録音して 売るヤツが、でてきました。 ( ←でました!違法天国シチリア・・・) この録音テープの海賊版は、いまだに、 どこかで、うられつづけているそう。 そして、2002年。 今まで、カターニア市が運営していたベリーニ劇場は、 シチリア州が、運営することになりました。 これは、豊潤な資金をもらえ、、 それでいて、プログラムは、劇場が管理できる、 という状態になったということらしい。 そして、2008年 ベリーニ劇場・2008年のプログラム 来年上演されるのは、オペラ、バレエ、あわせて7本。 しかしHPをみてみると、すでに、最初の1本が、 予算の関係で、プログラムとは、別のものに変更されていました。 劇場運営というのは、 きっといつも予算と収支の戦いなんでしょうね。 ベリーニ劇場120年の歴史と同様・・・。 それでも、街にこんなにすばらしい劇場が存在するというのは、 本当にうらやましいこと。 (たとえ、一歩外にでると、車のカオスにまきこまれ、 道路にごみがたくさん散乱していていようとも?) そして、長い歴史を知ってからというものは、 見上げる目もまた違ってきます。 劇場の歴史は、そのままイタリアの歴史。 そして、120年間、 たくさんの人がわくわくした気持ちで、やってきて、 たくさんの人が、胸に音楽をいっぱい抱えて家に帰ったことでしょう。 もらった2008年のプログラムを開いて、 複雑な前売りチケットのページを解読。 「来年は、絶対アボナメント(1年間の公演の席を確保できる前売り) 買いたいなあ・・・」 解読し終わって、気がついた。 私、クリスマスに日本に帰国。 来年は、すくなくとも、しばらくは、イタリアにはいないんだっけ・・・。 ”来年のことを言うと、鬼が笑う”というけれど、 それならと、さ来年のアボナメントのことを考え始める。 さ来年は、アボナメントを買えたらいいのだけれど・・・。
by andosachi
| 2007-12-04 02:36
| カターニア歩き
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