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2008年 12月 13日

雪の中の軍曹 il sergente nella neve

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"曹長殿、われわれは、家に帰れるのですか?”

第2次世界大戦。
一面雪に覆われた酷寒のロシアからの、イタリア軍の敗走につぐ敗走。

極限状態の中、
右も左も、ただただ、真っ白なロシアの大草原。、
イタリア兵、誰もの胸の中に、去来するひとつの思い、それは

”家までは、どのくらいの距離があるんだろうか?”


自らの体験を、感情を極力排した、散文詩ともいえる簡潔な文体で描いた
イタリアのトルストイともいわれる、マリオ・リゴーニ・ステルン
今回は、彼の第一作目にして、傑作、”雪の中の軍曹” を紹介します。






第2次世界大戦時、
当時のソヴィエト領内に、宣戦布告なしに、侵入したナチス・ドイツ軍,
その同盟国として、ロシアに配備されていたイタリア兵たち。

1942年から、1943年のスターリンググラードの攻防戦で、
ドイツ軍は、大敗を喫し、同盟国イタリアも、真冬に突入した
ロシアから、悲惨な、敗走を強いられます。

ソフィア・ローレンと、マルチェロ・マストロヤンニの名作
ひまわり」を思い出す方も、多いのではないでしょうか?

作者・マリオ・リゴーニ・ステルンは、このロシア戦線に配置されたイタリア軍の一軍曹でした。 「雪の中の軍曹」は、戦時中、彼が丹念に、書き記していた日記をもとに、書かれ、第2次世界大戦の記録文学の最高傑作ともいわれています

が、しかし、これは単なる記録文学、戦争文学ではなく、
そこにいつも流れるのは、死ぬか生きるかの
極限状態にありながら、静かに人間そのものを見つめる彼のまなざし,
それも、イタリア人、ドイツ人、敵のロシア人という枠組みを超えた
誰もが、ただただ同じ人間なのである、という思いが底辺に一貫して流れる
マリオの人間への、深いまなざしでした。

                   *******


まるで、曹長であるマリオが、すべての運命を知っていると信じているように、
顔をあわせるたびに、声をひそめて彼に聞く、部下のジュリアン。
”曹長殿、われわれは、家に帰れるのですか?”


手紙が届くと "恋人からだ!”
手紙を、高くかざしてマリオに見せながら、叫ぶ
まだ少年といってもいいくらい若いマランゴーニ。


家族からの手紙を、全部巻きタバコにして吸ってしまうピエモンテ出身のトウルン。

故郷シチリアでは、太陽が輝き、オレンジがたわわに実るころ、
暗く冷たい塹壕の中で、死んでしまったサルピ中尉。
雪の上に流れるその血でさえ、やがて氷ついてしまうロシアの地。

敗走の瞬間、何週間も暮らした暗い塹壕の壁に目をむけたなら、
そこには、 婚約者や愛する子供の名前が刻まれ、
貼り付けられた愛する人からの葉書があり、

敗走の前に、上から武器と弾薬、食べ物以外のすべてを捨てるようにと
命令があれば、愛する人たちから届いた手紙の束を握りしめ、
「これは、持っていっても、いいんですか?」 悲しげに マリオに尋ねる部下たち。

全裸で横たわる、ロシアの雪よりも白い、村のロシア人女性の死体。
その雪を染める真っ赤な血。

凍結した川面で、負傷し呻きながら、
「ママ!ママ!」 叫びながら、苦しげに這い回る若いロシア兵。
「おれたちと一緒だ。おふくろを呼んでいる」 それを聞いてつぶやくイタリア兵。


私たちが後から知ることができる戦争の記録とは、いつも
イタリア兵が、ドイツ兵が、ロシア兵が、いつどこに侵攻し、
そして、その国の普通の人たちが、何千、何万死んだという
羅列された数字の事実であるけれど、

彼の作品からは、
戦争とは、恋人からの手紙を待つマランゴーニであり、
死の前に、母親の名を呼ぶ、いちロシア兵であり、
自分の生まれた大地を血で染めなければならなかった
素朴な暮らしをしていたであろう、一人のロシアの村人でした。


現代イタリア文学を代表する作家、マリオ・リゴーニ・ステルン


マリオ・リゴーニ・ステルンは、1921年
イタリアの北、アルプス山麓の町、ヴェネト地方のアジアーゴに生まれました。

現在、この土地は、冬は、スキー客、夏は、避暑客でにぎわう
人口7000人ほどの、静かな村ですが、
1866年、最終的にイタリアの領土になるまで、隣国オーストリアとの激しい領地争いがあり
第1次世界大戦には、一面焼け野原と化すほど、
激しい戦火にさらされたのでした。

また第2次世界大戦末期には、
イタリアのムッソリーニ政権や、ナチスドイツのファシズムと戦い、
開放を求めて戦った、パルチザンのグループが生まれ、
それゆえ、悲惨な”パルチザン狩り”が、行われた土地でもありました。


そんな戦争の影を色濃くのこしたアジアーゴで生まれ育ったマリオも、
自分の意思とは、関係なく、
人生の最良のときを、戦争に翻弄された人生を送りました。

イタリアは、1935年、エチオピア侵略を皮切りに、
アルバニアを併合し、イギリス、フランスへ、宣戦布告します。

19歳のマリオは、フランス、そして、アルバニアの戦場へと送られ、
そして、極寒のロシア戦線へ。
そして、この「雪の中の軍曹」に描かれたロシアからの死の敗走。
捕虜となり、強制収容所で、2年近くを過ごしました。

「雪の中の軍曹」は、その収容所で
かき集めた紙片に書かれたものでした。


1ヵ月半の間、私はすべてを忘れた。
空腹さえも、遠い自分の国さえも。

日が暮れるまで書いた。

なぜ書いたのか?

自分の書くものが出版されて、人に読まれるように、などという気負いからでは、
もちろんない。自分の中にある何かから自分自身を解き放ち、
すべてを、声と響きをもった言葉で、表現しなけければならない、
そうすることが必要であり、かつ緊急のことでさえあると、あのとき思えたのである。

自分が見、体験したことを、いつまでも、覚えていることができるように、
書き留めておくこと。

それは、個人的な手記であってはならなかった。
あの戦争の時点で、私とおなじような立場の数千の人びとに
起きたことを語らなければ、ならない。

戦略、戦術、戦争の科学のことは、抜きにして、
もっぱら、人間の条件についてだけ語る。

それがすべてだった。


                              マリオ・リゴーニ・ステルン


生き残って

「今、マリオ・リゴーニ・ステルンの"雪の中の軍曹”を読んでいるの。
本には、今も、アジアーゴの自然の中で、文明とは、没交渉の
農夫のような暮らしをしている、と書いてあるけれど、
今も、そうなの?」

今年の7月、イタリアから帰ってきたとき、
読書家の友人、リタにメールをすると、返事が帰ってきた。

「あなたが、このイタリアの作家に目を向けてくれて、とてもうれしい。
でも、残念ながら、彼はついこの間、亡くなりました。故郷、アジアーゴで」


戦後、故郷アジアーゴに戻ったマリオは、
戦場と収容所の深い心の傷とともに、戦後の生活苦の中で、生き抜きました。
戦争の深い傷から、回復するのは、やさしいことではなかったにせよ、
故郷の森と、自然、その一部として生きること、それが
彼の奇跡的に残された人生を癒していったのかもしれません。

「雪の中の軍曹」は、偶然、タイプ原稿がある人の目にとまり、
1953年、イタリアのエイナウディ社から、刊行。 刊行と同時に、絶賛を博し、
イタリアの権威ある文学賞、ヴィアレッジョ賞を受賞、
各国で、翻訳され、高く評価されています。

マリオは、「雪の中の軍曹」出版後、
アジアーゴに住みながら、森に入り、木を植え、
蜂を育て、野菜をつくり、彼の一部(あるいは、すべて)である
自然をテーマに多くの作品を生み出しました。


そして、2008年6月16日(今年ですね)
故郷アジアーゴで、87歳の生涯を閉じました。


イタリアの作家、プリモ・レーヴィは、書いています。


マリオ・りゴーニ・ステルンが、この世に存在しているということには、
どこか、奇跡的なものがある。
まず、第一に、彼が生き延びたこと自体が、奇跡的なものを帯びている。

暴力とは無縁のこの人は、彼の時代のあらゆる戦争を戦うことを、運命づけられた。
そして、フランス戦線から、アルバニアとロシアの前線から、
さらに、ナチスの収容所から、無傷のまま、穢されることなく生還した。

さらに、リゴーニが、現に今のような人間であること自体が
また同様に奇蹟的なことなのだ。
このような時代のさなかで、自殺行為ともいうべき、都市化の波と、
価値観の混乱から、自由に、正統であるべく、己を律してきたということが。

                   プリモ・レーヴィ 「根を求めて」より。




「雪の中の軍曹」には、忘れられないあるシーンがあります。
本の中で、時が止まるのを感じる、”あの”シーン。

戦争という、非人間的な場面においてさえ、
人間のもつ大きな普遍性を感じる ”あの”シーン。

マリオは、書きます。


皆さんは、この本の中で、
明るい、あるいは残酷な、平和な、あるいは悲劇的な、陽気な、
あるいは、絶望的な出来事に出会うだろう。

しかし、ここで、私が望みたいのは、人間を引き裂くのではなく、
結びつける感情である。

なぜなら、戦争の渦中で、すべてが崩壊し、死に絶えるように思われるときでも、
ひとつの行為、ひとつの言葉、ひとつの事実が、
希望と生命を、蘇らせるのに、十分なことがあるからである。

     ーマリオ・リゴーニ・ステルン 「雪の中の軍曹」 イタリア版まえがきよりー



イタリア語で、Conpaesano (コンパエザーノ) という言葉があります。
「同郷の人」。 

自分の故郷、アジアーゴに魂を深く張り、アジアーゴから外に出て、"外国人”を殺さなければ
ならなかったマリオは、ロシア行きの列車の中で、自問します。


この汽車にのっているおれたちの中で、
帰れるのは、誰だろう?

何人の、コンパエザーノ(同郷の人)を、おれたちは、殺すことになるだろう?
そして、何のために?

同じ世界に生きているわれわれは、
誰もがみなコンパエザーノなのに。



「私は小説化(ロマンツイエーレ)ではない。
事実のみを語る 語り部(ナッラトーレ)だ。」


生前に、そういっていたマリオ・リゴーニ・ステルン。
一発の銃が、寒さが、飢えが、病が、
若きマリオを死なせることは、容易だったのに、

過酷な戦争を生き抜き、
プリモ・レーヴィが言うとおり、奇蹟とも言えるその人生をまっとうしたことは、
優れた語り部として、彼の時代とともに生きた物語を、
私たちコンパエザーノに伝える使命を、
神様が、与えたのかもしれません。

イタリアの南の文化に目が向きがちな私ですが
この作家を知ったことで、北の文化、歴史を
知るきっかけを得ました。


いつかアジアーゴに行くでしょう。
そのときは彼の人生であった、その歴史、その自然を
もっと肌で感じられることを願っています。




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                      マリオ・リゴーニ・ステルン
                        (1921-2008)


                     ************


日本で翻訳されている彼の作品を紹介します。

「雪の中の軍曹」草思社
「雷鳥の森」 みすず書房 

「野生の樹木園」 みすず書房
「リゴーニ・ステルンの動物記」 福音館書店

「テンレの物語」 青土社

どの物語も、
彼の無駄のない簡潔な文章、
深い自然への造詣を味わえる秀作です。

特に、「テンレの物語」が好きです。

パイプをふかしながら、
自分もまた死ぬときがくるのだと考えたが
不安や、恐怖はなく、むしろ憩いについて考えているような気分だった。
それは、誰かが目にするこのような風景の中に、永遠にとどまること・・・・・

                   
                   ー マリオ・リゴーニ・ステルン 「テンレの物語」 ー

”風景の中に、永遠にとどまること・・・・”

本を読むのは、宝探しと似ています。
読む前のひそやかな興奮と、
読んでいるとき、宝石のような文章を味わう瞬間。


国境を持たない男、
テンレ・ビルタルンの、物語のような人生へ、ぜひ。


                 *************


次回は、ロシア戦線がらみで、
映画 「ひまわり」 を紹介します。
卵を買いにいかなくては!?
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by andosachi | 2008-12-13 16:25


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