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2009年 01月 09日

映画ひまわりと、ロシア人女性のブラジャーのお話

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第2次世界大戦、ロシア戦線から、帰らぬ夫を待つ
ナポリの女性、ジョバンナ(ソフィア・ローレン)。

すらりとしたジョバンナを不安げに見上げる
喪服を着た小さな義母に、
背筋を伸ばし、義母の目を見据え、
彼女は、断言します。

”あなたの息子を探してみせます。
この喪服を脱がせてあげますわ。
たとえ、ロシア中を歩いても。”



無数のイタリア兵が、ロシア兵が、そして、ロシアの農民が
眠っているであろう、ロシアの広大なひまわり畑をさまようジョバンナ。

流れるヘンリー・マンシーニのあの名曲。

今日は、イタリア映画の名作中の名作
ヴィットリオ・デ・シーカの ”ひまわり”と
ロシア女性のブラジャーのお話。






ある日曜日、友人のピッポの家に昼食に招かれて
郊外にある彼の家に行った。

杖をついて、80は、超えているだろう
カターニアの街中に住む、ピッポのお母さんも、やってきて
「ああ、これがうわさに聞く、ピッポのお母さん」と思ったものだ。

「うわさに聞く」というのは、
私の友達が、「彼女は、terribile(テリービレ)!」と、よく笑って言っていたから。
terribile とは、ひどい、とか恐ろしい、とか言う意味だけれど、
この場合は、「年は、とっているけれど、まだまだ気丈でなんのその」 という
意味で言っていたと思う。

やわらかそうにウェーブした細い銀髪。
茶色い瞳の多い、シチリアの人には、めずらしい
浅い緑と空色の、翡翠のような、透き通った瞳。

足腰こそ、弱っているけれど、
友達が言った ”terribile (テリービレ!)” がすぐに想像つく
チカチカッといたずらそうに輝いているこの2つの目。

「はじめまして」 挨拶したとき、この翡翠のいたずらっこの瞳に
すっかり魅せられてしまった私。

「きれいな瞳ですね。」
陳腐なナンパ男の古いセリフのようだったけれど、言わずにはいられなかった。

すると、お母さん、
「こんな薄い色の目のおかげで、シチリアの太陽がまぶしくって仕方ありゃしない!」と
ちょっと毒舌ぎみの謙遜。

秋の日差しがまだまだ暑かったシチリアの、
日曜日のこの日のメニューは、、
その日の朝、魚市場からピッポが買ってきた
オリーブオイルでマリネした大量のさんまを、庭でバーベキュー。

そこらへんからとってきたレモンを、ぎゅうっとしぼる。
(大根おろしと、醤油が欲しくなる私)

付け合せは、ピッポの奥さん、ウクライナ人のマーシャが作ったロシア風サラダ。
イタリアでは、マヨネーズで和えたサラダをこう呼ぶけれど、
ウクライナ人は、ロシア嫌いだから、マーシャは、
ロシア風なんて、冗談じゃない、正真正銘のウクライナ風サラダよ、って
思っていたかもしれない。

食後、みんなで、
私がお気に入りのおいしいお菓子やさんで買ってきた
日曜日のお呼ばれお昼ごはんのあとのドルチェの定番、といった
一口サイズのケーキやら、クッキーやらをつまむ。

ずいぶん前に亡くなったピッポのお父さん、つまりだんなさんの話題になったとき、
この”terribile (テリービレ)”お母さんが言う。

「うちの人はね、若い時分、ロシア戦線にまでいったのよ。
器用な人だったもんだから、
ロシアで捕虜になっても、向こうで重宝されちゃってね。
ありとあらゆる仕事をしたんですってさ。

ありとあらゆる仕事よ。

ロシア女のブラジャーまで縫ったのよ! 」

そのときの、お母さんのうれしそうな顔といったら!
翡翠の瞳のチカチカッが、いたずらっ子のように輝いて、
よく小さい子供が、食卓で汚い言葉をわざといいあって
悪ふざけしているのを思い出す。

お母さんのこの滑稽な話ぶりと、
私の知っていた悲惨なロシア戦線がちょっとうまく結びつかなかったけれど、
それでも、日本では、遠い"映画の中の物語”と思っていた、
イタリア軍のロシア戦線の話が、
こんな身近な事実として、日曜日のドルチェの時間に話されているのに、
一人驚いている私。

「まるで、映画ひまわりみたい。」

お母さんに、ぼそりと言うと、

「そうよ、あの映画みたいだったのよ。
うちの人は、ロシアから帰ってこれたけど・・・。

それにしてもうちの人ったら・・・・・

ロシアでは、ブラジャー縫ってたのよ!
(チカチカッ)

うん、確かにterribile(テリービレ)かも。




さて、ご存知の方も、多いと思いますが、
その映画「ひまわり」とは・・・・


映画「ひまわり( I girasoli )」の物語



( ここから、映画のネタわれありです。
これから見たい、ストーリーは、絶対知りたくない、という方は、読まないでください~;)


アントニオ(マストロヤンニ)と、ジョバンナ(ソフィア・ローレン)は、
ある夏、地中海の美しい海岸で出会い、愛し合います。
しかし、アフリカの戦地へ、駆り出されることになっていたアントニオ。
「結婚すれば、12日間の休暇がもらえるわ」と、ジョバンナ。

こうして、2人は、結婚し、2人だけの蜜月の12日間は、あっという間に過ぎ去ります。
ジョバンナと離れたくないアントニオは、狂人を装い、徴兵を逃れようとするも、
すぐばれて、過酷なロシア戦線へ。

「すぐに帰ってくるよ。
ロシアの毛皮をみやげに・・・」

ロシアへ出征する兵隊たちで、ごった返すミラノ駅。
あわただしく、短い2人の別れ。


ジョバンナは、年老いたアントニオの母と
イタリアで、彼の帰りを待ち続けます。

アントニオの小さな写真を胸に、ロシアからの復員兵が到着するミラノ駅へ、通うジョバンナ。
ミラノ駅は、夫の、息子の小さな写真をかざして、
必死で、だんなを、わが子を探そうとするイタリアの女性たちであふれ、
極寒のロシアから、ぼろぼろに傷ついて帰還した彼らが降り立ちます。

でも、アントニオは、帰ってこない。

ある日、そんなミラノ駅で、彼と同じ部隊だったという復員兵と出会い。

地獄だった

語る復員兵。
極寒の雪の平原で倒れたアントニオを見たのが、最後だと・・・。

「ひどい人!見捨てたなんて」 叫ぶジョバンナ。



そしてロシアへ


アントニオの生存を信じるジョバンナは、一人、ロシアへ赴き、
必死で探します。 

しかしそこで見たのは、美しいロシア女性と結婚し、子供までもうけ、
幸せな家庭を築いているアントニオ。

何もいえず、イタリア行きの電車に飛び乗るジョバンナ。
見つめ合う2人。
絶望に、嗚咽するジョバンナ。


数年が過ぎ、アントニオは、ジョバンナに会いに、イタリアへ。
「君のことを愛している、やり直そう」 

生まれたばかりの子供を見つめ、静かにつぶやくジョバンナ。
「あなたには、あなたの家庭があり、私にも別の人がいて子供もいる。
もうやり直せないわ」

アントニオの帰りを待ちわびて、彼の写真を抱えて通ったミラノ駅で、
多分、もう2度と会うことは、ないだろう、ロシアへ帰るアントニオを
見送るジョバンナ。

ミラノ駅のこの美しいラストシーンと、
バックに流れるヘンリーマンシーニの切ない音楽は、
忘れられません。


時が教えてくれること、時を経ても変わらないもの

私は、好きな映画は、何回も見てしまうのですが、
自分が年をとるにつれて、見る年代で、同じ映画の感じ方、見方が
驚くほど、違うのに、最近、新鮮な驚きを覚えています。

この”ひまわり”をはじめて見たのは、多分、10代の終わり。
まず当時は、ハッピーエンドじゃないことに、
おおいに ご不満でした!
「おいおい、こんな終わり方はないだろう」 ってなもんで・・・。

ロマンチックラブ以外の愛=つまらない退屈な愛 という公式しかなかったのでしょう。

そして、人の強さも同じこと。

当時、映画の中で、強く見えたのは、
愛する人の生存を信じて、一人、ロシアまで果敢に探しに行く、
ソフィア・ローレンただ一人でした。

でも、今こうして、人生を少し余分に生きて見たときに、
たくさんの人の中に、静かな強さを見ます。

たとえば、

それは、愛する夫をイタリアに送り出せたロシア人の妻の強さであり、
地獄のロシア戦線から、帰国して、多くの傷をかかえながらも、
また戦後の現実社会で、マイナスから生きなければならなかったあの復員兵の強さであり、

愛する息子を失っても、一人老後を生きなければならなかった
あの小さなアントニオのお母さんであり、

そして、何よりも
深くアントニオを愛し続けていたにもかかわらず、
いや、だからこそ、戦争に翻弄され、
人生に起きてしまったどうしようもない運命を、
もはや静かに受けいれた、受け入れざるを得なかったジョバンナの、
ロマンチックラブとは違う、深い愛の強さ。


それとは、対照的に、
人の弱さには、普遍性を感じます。

映画の中で、ソフィア・ローレンが、
アントニオを探して歩いたロシアの、地平線まで続くひまわり畑の中に、
イタリア兵も眠る、戦死者の記念碑がありました。

そこには、ロシアの詩人、スエトロフの詩が刻まれています。


ナポリの息子よ
なぜきみは、ロシアの野へ来たのか
故郷の湾に飽きたのか

ラホストークできみは
遠いヴェスビオの山を想っていた



人の弱さが、最も端的にあらわされ続けるのは、
アントニオたちが生きた、60年前と同じに、
21世紀になっても、今もこうして繰り返される
人間の憎しみや強欲が生む戦争。

憎しみや強欲が人の弱さなら、

人の強さが、武力を生むのではなく、
人の弱さが、武力を生むという矛盾。


この映画は、40年近く前の映画でありながら、
人間の普遍性を描いた物語は、
決して古くはならないことをしみじみ感じさせてくれます。

ここ数年、自分の人生を生きるのに、忙しくて、
昔から比べると、ずいぶん映画からは、離れていたけれど、
やっぱり映画は、人生の楽しみのひとつ。


でも、ときどき・・・・

ロシアでロシア人女性のブラジャーを縫っていた
ピッポのお父さんのように、

本当の人生が、映画のようなのか、
映画が、本当の人生のようなのか、
わからなくなりますけれど。(笑)


共通することは、ただひとつ。

Fine (終わり)は必ず来ること、でしょうか。



                *****************


ヘンリー・マンシーニのあの名曲と共に、
映画をちょっと見てみたい方は、こちらをどうぞ





           ****************


そして、現在行われているガザ地区への無差別な攻撃が
一日も早く止むことを!

死者の30%は、子供であり、
負傷者の45%は、女性と子供であり
病院は、地獄図のようだ、という
現地の医師からのレポートがあります。

1日も早い停戦を!

by andosachi | 2009-01-09 23:05 | イタリア映画


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