2009年 02月 11日
”シチリアには、ピスタチオの村がある” そうはじめて聞いたときから、 なぜかぴったり心に張り付いて 惹かれてしまったピスタチオの村、ブロンテ。 りんごの村、とか、アーモンドの村、は、よく聞くけれど、 ピスタチオの村って? ”ピスタチオの村があるんだ。” ある晴れた、春のシチリアの日曜日、 出かける理由は、それだけで十分。 ”そうだ、ピスタチオの村に行こう!” エトナ山のふもとに広がる エメラルド色の、小さな宝石のなる村へー ある日、シチリアから日本に届いた小包に、 ブロンテ産のピスタチオが入っていた。 ” ナポリといえば、ピザ、 シチリアといえば、マフィアって連想するように ・・・・” 送り主のシチリア人が自虐的に笑いながら言う声が、包みの中から聞こえた。 ” ブロンテといえば、ピスタチオなんだ ” 送られたピスタチオを見ながら、 そんな言葉を思い出し、 ブロンテ村で出会った、いかつい農夫の手をしたおじさんとの出会いを思い出す。 ブロンテ村のおじさんとの出会い ブロンテ村は、私が住んでいたカターニアから50キロちょっと。 エトナ山をはさんで、ちょうど反対側。 その日は、いつものごとく、車線があってないようなカオスのカターニア市街を通り抜けると あとは、すかっとひたすら気持ちいい山への道。 エトナ山も、いつもカターニア側からみているものとは、逆の姿。 カターニア側から見る美しく角のある均等のとれた男性性とは違い、 丸みをおび、どこか、ふっと息の抜けたやわらかい女性性を感じます。 以前にきたときは、すぐにブロンテの旧市街に入って、 お気に入りのバールで、ジェラート(もちろんピスタチオの)を食べたものだけれど、 その日は、山のセンティエロ (小径)に 車で入ってみる。 アーモンドと、ピスタチオの木が、ごつごつした火山岩の上に、はりつくように生えていて、 過去3回、エトナ山の噴火で、大きな被害にあい、それと同時に、肥沃な火山灰をさずかった ブロンテ村の歴史を垣間見る。 よくも悪くも、エトナ山と共にこのブロンテも生きているのです。 そんな木々の間から、山仕事をしている農夫のおじさんの、 あきらかに、警戒心いっぱいの私たちの車への視線。 「この車は、いったい何しにこんな山の中へ??」 そんなときは、車を降りて、こちらから、あいさつ。 「ブオンジョルノ! 僕たちカターニアから来たんです。 ブロンテ村のピスタチオを見に」 おやっとおじさんの表情がやわらいで、 まずは、そこから人間同士の会話のきっかけ。 ブロンテ村のおじさん ブロンテのピスタチオ ブロンテ村のピスタチオは、2年に1度、奇数年にだけ出荷されます。 もちろん、毎年実をつけるのですが、遇数年には、実が小さいうちに収穫してしまい、 出荷はしません。 こうすることにより、翌年、最高級の品質のピスタチオが収穫され、 また害虫からの被害を考えると、 収穫量の効率もいいとのこと。 ブロンテのピスタチオの特徴は、 風味がよく、何よりも、美しいエメラルド色であることで、 世界市場最高の品質を誇っているのです。 (La foto da Crispino ) この美しいエメラルド色が、ブロンテのピスタチオの特徴。 その昔、ブロンテの支配者であったアラブ人がもたらしたピスタチオ。 エトナ山のすぐ近く、火山岩の多い土地のため、他の野菜が、収穫されなかったことから、 ピスタチオの木を植えたところ、不毛な土地に強いこの植物が、 ここ、ブロンテにうまく適合したのです。 今は、見渡す限り、ピスタチオの木というブロンテ村周辺。 アラブ人が、シチリアにもたらしたものは、多々あれど、 彼らの賢さには、本当にいつも頭が下がります。 収穫は9月。5月のこのとき、実は、まだ赤ん坊。 2年に1度の収穫ということや、 足場の悪い岩場での収穫は、決して楽ではないことなどから、 ブロンテのピスタチオは、決して安くはありません。 「このごろは、何でもかんでも、ピスタチオをつけたがる!」 と、シチリアの友人が、言うように、 シチリアのお菓子屋さんのドルチェをみると、 お菓子の飾りに、ピスタチオをつけるのは、ここ数年の流行のようで、 それでも、クッキーや、ケーキに、砕いたピスタチオが、あしらってあると、 無骨者のシチリアのドルチェも、ぐっと洗練されたイメージに変わります。 おじさんの山の家へ さて、おじさんと、そんなピスタチオ話をしていると、 「すぐそこに山の家があるから、寄っていかないか?」 はじめのうさんくさいものを見る視線とは、打って変わったおじさん。 車を止めて、おじさんの後をついていく。 おじさんの山の家 「今は、作業小屋だけれど、 私が小さいころは、家族みんなで、ここに住んでいたんだよ。 これが昔のオーブン。」 そういって、小屋を案内してくれるおじさん。 たった今、家族みんなが、食事を終えたかのような素朴な食卓。 奥に見えるオーブンでは、当時は貴重だった小麦で、 家族のパンが、大切に焼かれ、大切に食べられていたことでしょう。 その山の家からの見晴らしたるや・・・・・ どこの4つホテルよりダイナミック。 「ピスタチオの収穫のころだったら、ピスタチオをあげられたのに・・・」 その年が、奇数でないことが、 まるでおじさんのせいとでも、いわんばかりに、残念そうなおじさん。 小さなビニール袋を取り出すと、 かわりにアーモンドの実をたくさん詰めだして 「うちでとれたアーモンドだよ」 といって 私たちに差し出してくれる。 家に帰って、大切にガラスの瓶に詰めました。 通りすがりの私たちへのおじさんの素朴なやさしさに、お礼をいって、 おじさんの畑でとれた、アーモンドをありがたくいただき、 ピスタチオの旅は続きます。 ブロンテ村、色の散歩 どうして、影に色があるんだろう? と、ときどき、ふっと思う。 影にそんな色が見えるときは、きっと心にたくさん色があるとき。 旅をすると、心に、忘れていた色が、舞い戻ってくる。 旧市街に着き、 ブロンテの人たちも、今頃、家の中で、ラグー(ミートソース)かなんかの、パスタでも 食べているんだろうな、という食器のカチャカチャいう音が、 聞こえる日曜日のお昼時。 のんびり街を歩く旅が大好きで、 この日も、しっくりくる色を探しながら、ぶらぶら散歩します。 歴史が作った街の色を見るだけの旅もいいもの・・・。 醒めるような 上品な空色は グレーの壁とよく似合って いろんな緑、碧、ミドリ・・・ 高校生のころ、大好きだったこんな色のみどりのセーターを着ていたな、なんて。 シチリアのオレンジ色と、シチリアの木の緑がよく似合う。 古い壁の苔も、街の色のひとつ。 味のあるグラデーションを創り出す。 雨風が作った古い壁の色と、空の色の相性。 子供のころ、お絵かきで、窓ガラスを無邪気に”空”色に塗ったものだけれど、 シチリアの窓ガラスは、そこにほんとに”空”があるんだ。 見上げた空が、より青いのは、 きっと、街が作る影が、より濃いとき。 路地裏に、見つけたアラブ的迷宮(ラビリンス)。 明るい何も考えていないようなピンク色に、シチリアにいながら、 遠い昔訪れた、キューバのむせかえるような熱気をおもい出す。 目の前に飛び込む、思いもよらない楽しい色の組み合わせを目が楽しんだり、 何よりも、この風景の中に、日常の生活があるってことに、ほっとしたり、 インテルドナート通り。 インテルドナート氏、友達の苗字と、同じ通りを見つけて、 証拠写真を撮らねば!と、妙な使命感(?)にかられたり、 こんな壁の色のようなフレスコ画が、描けたらな、なんてわくわくしたり。 というか、この壁自体、ひとつの作品じゃないか、とも思ったり。 旅が終わって、何ヶ月もして、 突然、デジャブのように、目の奥に蘇るのが、逆光のこんな風景だったりする。 きちんと修復がなされているこの落ち着いたレンガ色の建物は、 昔の、寄宿学校だったのです。 この、”Collegio Capizzi ” ( コレッジョ・カピッツイ = カピッツイ寄宿学校 ) は、 17世紀の終わりから、18世紀のはじめ、シチリアの文化の中心のひとつとして、 重要な役割を果たしていました。 ブロンテの貧しい家に生まれ、司祭となった、Ignazio Capizzi (イニャツオ・カピッツイ) によって、建てられ、現在は、図書館、美術館となっています。 この建物の隣には、昔のロカンダ(宿屋)も、残っており、 子供たちに会いに、遠くからやって来た両親たちが、宿泊したのでしょう。 久しぶりのわが子との再会を喜ぶ17世紀の家族の姿が、 今、そこにあってもおかしくない。 古く美しい街の姿を残すことは、 そこに住む人たちの美意識・哲学の表れであろうけれど、 街を歩いていて、そんな想像を楽しめる街を、残しているということにおいては、 (有り余るほどの問題をかかえている国であるとはいえ) イタリアの・・・シチリアの人たちの美意識には、素直に頭が下がる思い。 羨望がちくりと心に痛い。 私たちが、日本で、短期間に平気で失ってしまった そこで、日々を過ごす街並みへの美意識の欠如。 どこにぶつけたらいいか、わからない苛立ちが、一瞬すっと心を通り過ぎる。 ちょっと郊外へ出てみると 今度は、はちきれんばかりのエネルギーで、 迫ってくるものがあるのです。 空が 花が ねぎが!! 小さい街ではあるけれど、 静かに、時には激しく(?) 味わいがいのあるブロンテです。 ブロンテのおいしいもの はじめてブロンテにきたのは、ピスタチオ祭りのときで、 あいにく冷たい豪雨の降る嵐の日曜日。 とてもじゃないけれど、ジェラートを食べる気にはならず、 びしょぬれになって、引き揚げたものでした。 でも、なにしろ、"こころに張り付いて”しまったので、 それから、何回か訪れるうちに、お気に入りのバールを見つけ、 よく寄ったものでした。 そこのピスタチオのジェラートは、自然の味。 カターニアの街のピスタチオのジェラートほど、緑緑していなくて、 ねばっこくもない。 ほくっとしたやさしい味がするのです。 そして、このバールで見つけたピスタチオのケーキは、絶品。 濃厚なのですが、ピスタチオが、これでもか、というくらい惜しげなく。 ここのお菓子は、すべて中の厨房で作っていて、 興味津々で、いつも覗き込む私。 女性の職人を発見。 話しかけると、アルゼンチン人ということ。 忙しそうでそれ以上は、話を聞けなかったけれど、 あとで、友達といろいろ想像をめぐらしてみる。 イタリアは、貧しかったその昔、 大量の移民をアルゼンチンにも送り出したので、 そんなイタリア系アルゼンチン人のだんなと出会い、結婚して 祖父母の故郷、このブロンテに、帰ってきたんじゃないか?などなど・・・。 うん、旅をしているときは、 何かと暇なのです(笑)。 そして、ついにブロンテでしか食べらないお菓子を見つける 私が愛読している "Dolcezze di Sicilia " (ドルチェッツア・ディ・シチリア =シチリアの甘さ ) という シチリア菓子の歴史や、伝統を紹介した本の中に、 "Le fillette di Bronte " (レ・フィレッテ・ディ・ブロンテ) というお菓子が紹介されていて 今度、訪れたら、ぜひ買ってこよう、と思っていました。 La filletta (ラ・フィレッタ) は、 代々ブロンテに受け継がれてきたとても古いお菓子で、 材料はいたって、シンプル。 小麦粉、砂糖、卵、これだけ。 要は、おいしいスポンジケーキといったところ。 もともとは、ブロンテに住んでいた、スペイン系のユダヤ人たちが、 過越しの祭り (キリスト教でいう復活祭) のときに、 酵母の入らないパンが必要だったことから、作られたようです。 よくアイスクリームを食べるバールで聞いたところ、 残念ながら、今日は売り切れ。 そこで、もう一軒、別のお菓子やさんに行くと・・・ ありました、ラ・フィレッタ。 さっそく買って、家でゆっくり食べました。 日本人も大好きになりそうな、ごくごくシンプルなふわふわのスポンジケーキ。 イタリアのスポンジケーキは、日本人の口にしたら、 ばさつく感じがする上、甘いシロップをこれでもか!と、湿らせるので、 この ラ・フィレッタは、なかなかいいんじゃない~? と大満足。 翌朝、カフェラッテと共に、私の朝ごはんになりました。 さて、この作り方を読んでいたところ、 ”昔は、火鉢の上に、小さな胴のフライパンを置き、10センチ程度に種を流し、 その上に、熱くした炭をのせ、両面を焼いていた。 現在、衛生上の理由から、火鉢の上で炭を使って作ることは、禁止されている” と書いてあり、いったいぜんたいどうやって作っているのかが想像できず、 心にひっかかっていました。 ところが、ブロンテのHPを見ていたところ、 思わぬビデオを発見。 謎がとけて、大いにすっきりしたものです。 お時間がある方は、ぜひどうぞ。 ラ・フィレッタの作り方 (1分少々・ 音楽、映像とも、なかなか年季が入っています; ビデオの中では、材料は、小麦粉、卵、コーンスターチとなっています ) そして、その後 カターニアの家に帰って、 ブロンテのおじさんにもらったアーモンドで、さっそく ビアンコ・マンジャーレを作ってみました。 アーモンドをさっとゆで、茶色い皮をむいて 日本からもってきた小さなごますり鉢にいれ、せこせことすりつぶします。 粉にしたアーモンドを、牛乳と砂糖で煮て、そのまま数時間置き、 アーモンドの風味を、牛乳にうつします。 あとは、生クリームと、ゼラチン。 そのあと、漉してしまうので、アーモンドは見えないのに、 一口食べれば、アーモンドの風味がたっぷりの、舌にやさしいお菓子です。 そして、日本では・・・ 冒頭で送られてきたピスタチオの粉を使って、 シンプルなパウンドケーキを作ってみました。 抹茶ケーキを思わせる、なめらかなグリーン。 卵白を泡立てて膨らませたタイプなので、軽い口当たり、 でも、大量のピスタチオが入っているので、ピスタチオの風味はたっぷり楽しめます。 こんなふうに、 ピスタチオの旅は、ひと粒で、3度・・いや、10度くらいおいしくて、 いつか、ピスタチオが、たわわになった奇数年に、 またいけたらな、と思います。 ブロンテのアイスクリームを食べに、 ラ・フィレッタを食べに、 そして、もちろん、農夫のおじさんに会いに。 下心なんて :) *************** お時間がある方は、以前紹介した、 ブロンテ村の近くマニアーチェの、緑の散歩も、どうぞ。
by andosachi
| 2009-02-11 21:50
| シチリアの小さな旅
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